「幸福言葉だけでは幸福になれない」 | R-YOGA ブログ

「幸福言葉だけでは幸福になれない」

今から10年以上前、20代後半にスピリチュアル迷子のような状態になった時代がありました。それぞれの指導者の言い分がお互いに違っていて、誰を、何を信じていいのか分からなくなってしまっていました。

何が正しいのかにこだわることで、かえって自分の問題を、真正面から見るという機会を失ってしまっていたことに、今更ながら気がついています。

 

先日、名古屋の栄のMySOUL8のスタジオにて、山下良道先生の「名古屋マインドフルネスの会」に参加いたしました。山下先生は、法話の中で「幸せな言葉、綺麗な言葉を使うことによって、ネガティブな自分の心を綺麗にしていく」という、よくあるスピリチュアルの方法の致命的な欠陥についてお話してくださいました。

 

(法話まとめ)

ネガティブな感情に負けてしまうから、それをなんとかしたい。
荒い言葉やネガティブな言葉を言うことで、大切な人間関係をこわしてしまう。
だから、言葉だけをポジティブな言葉に変えて行くという方法。ありがとう、ごめんなさい、許してください、愛しています、など。何かこれは一見いいような事なので、多くの人が正しいと思ってやっているが、問題がある。

 

では、何がそういうことの問題なのか?
心を変えるとはどういうことなのか?
お釈迦様の発見した真理のひとつがマインドフルネスであり、それは仏教そのものである。

仏教の教えの基本は、どう転んでもこの人生は苦しいというもの。若いときならば苦しいことがあったとしても、楽しいことをしてなんとか誤魔化し紛らわすことができる。しかし年をとればそういう誤魔化しがきかなくなってくる、

こんなに苦しいのは誰かのせいではない、私の中に自分で自分を苦しめてしまう構造がある。
私を苦しめる心配や不安。不安を起こしている原因を解決しようとがんばってそれは解決ついても、新たな心配の種がでてきて、きりがない。心配を創り出しているのは私の心であり、材料は何だっていいのである。

やってもやってもきりが無いことを一生やり続けないといけない。
いつしか人生はそういうものだとあきらめてしまう。


でも人生をあきらめるのをやめようというのが仏教。

人生は一見苦しみの連続のように見えるのだけれど、苦しみには明確な原因があり、その原因がわかれば解決される、という究極の楽観主義である。それに対して世間は苦しみは解決されることがないというニヒリズム。

川の流れに葉っぱが落ちて、その葉っぱが川上の方に流れていくように、仏教もマインドフルネスも川の流れに逆らっていく、世間の苦しみからどうせ逃れられないというニヒリズムに逆らう。

 

自分の心が止まらなくなって、勝手に心配してしまう、過去を思い出してしまう。これを止めなくては、これを止めれば苦しみから解放される、というところまで分かっているのが日本のマインドフルネスであり、苦しみから逃れられないというニヒリズムはすでに超えている。

ネガティブな思考はネガティブな言葉で出来ているから、言葉を変えていこう、となる。「死んでしまえ」と心で思っていても、いい言葉を無理矢理に口に出して言う。

ネガティブな思考はネガティブな言葉で出来ているから、言葉を変えることで、思考も変えていこう、となる。私の心が問題なのだからそれを何とかしようとするが、なぜうまくいかないのか?

私の心をあらゆる手段を使って何とかしようとしているからである。
そんなもので心は変わるものではない。

 

ポジティブな言葉を言い続けることによって自分の中のネガティブなものが見えなくなる。「ネガティブが見えない」のと「ネガティブがなくなった」のは根本的に違うのである。これは非常にまずいことである。

本当は問題はそのままあるのに、見えなくなると問題解決したと思い込んでしまい、なんとかしようとしなくなる。病気が治っていないのに治ったと思ってしまう。でも症状を抑え込んだだけであり、症状を感じないから病気が治ったと錯覚するのである。

私達はどうしようもない心を持っていてそれが苦しみの原因。この心を無理矢理マインドフルになれというのは無理であり、それはマインドフルと正反対。

 

どうしてそんな無茶なことをしなくてはいけなかったのか、それはもうひとりの自分が見えなかったから。
私達は心を持っているがそれ以上の存在であり、もうひとりの自分がいるのである。

アガペもマインドフルネスも慈悲も全部、もうひとりの自分の側にあるもの
であり、人間は二重構造だとわかればすべての謎が解ける。

もうひとりの私がリアルであり、心は全部幻なのである。リアルな本当の私を感じ取らなくてはいけない。もうひとりの自分を探し、もうひとりの自分を瞑想により実感していくのである。

 

(感想)

振り返れば私も、このように言葉を繰り返し唱えたり、いい言葉を無理にでも口に出すことで幸運を引き寄せようとがんばっていた時期がありました。
それはやはり自分の心の中にあるネガティブなものを見たくない、という逃げでもあり、問題から目をそらしていたに過ぎなかったのです。

 

それが分かったのは、その頃に封じ込めた問題が完了していなかった、その頃の感情がまだ生々しく残っていたという事に気づいた経験からです。それはヨーガや瞑想で自分に向き合う中で発見されました。

当時は痛みが強すぎて、その痛みを感じることが辛すぎて、何とかしようと必死でした。とりあえず痛みを何とかしようとがんばってきたが、その方法は「心を変える」という方向でした。

 

起きた事の解釈をいい解釈に変える。ネガティブな反応をしてしまったときに、瞬時にポジティブな解釈に変える、など認知を変えるトレーニングをとことんやって来ました。そんなこと繰り返しているうちに、本当は私は何を感じているのか分からなくなってしまい、ネガティブを感じる自分は駄目だ、となってしまいました。

 

今回のマインドフルネスの会で、やはり参加者の方でこう言う言葉を無理やり言っていた時は苦しかった、という発言がありました。でも今日の慈悲の瞑想では自分の幸せも他人の幸せも自然に願うことが出来た、と。

シンキングマインドを落として、慈悲の瞑想でもうひとりの自分の場所、慈悲の存在する場所へジャンプする事が出来る。そこはネガティブが存在しない場所。そんな体験から思うのは、やはりこの自分がどれだけ心を変えようと努力するよりも、もうひとりの自分を体験し、深めていくことが何より大切なのだと感じています。

 

私とはシンキングマインドではない。
暴走するシンキングマインドを何とかしようと、
エゴの私があらゆる方法で幸せになろうとして、その方法に全て失敗して来ました。

その頃の自分を振り返り、今思うのは、無理矢理に心を捻じ曲げるという事は、私自身を大事にしていなかったのだと思います。私が何を感じ、何をしたいのかを全部無視して来て、ネガティブなものを感じてしまう自分そのものを否定して来たのです。

やはり自分の中にある、ネガティブなものを
真正面から見つめることが怖くて逃げていたのだと思います。

 

ネガティブなものを感じてしまう私は幻であり、本当の私が存在している。
マインドフルネスでその幻から解放される。
小手先のテクニックで誤魔化すのではなく、本当のマインドフルネスによって、人生そのものを根本から変容させて、真の幸福を味わう事が出来る。私自身の人生を振り返り、そう確信しています。

言葉を変える、解釈を変える、という方法は本当に世に溢れていて
それでネガティブが消えるなら、怒りがなくなるならと、その方法を試して幸せになろうという気持ちは、本当によく分かります。私自身が紛れもなくそうだったので。

しかし残念ながらその方法では、一時的には楽になったとしても根本的には救われなかった。だから、もっとその先へ進んでいくしかないのです。本当に幸せになるために・・・

 

山下先生の法話はこちら

http://www.onedhamma.com/?p=6694

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