自分の思いを捨てる必要など無い | R-YOGA ブログ

自分の思いを捨てる必要など無い

本屋さんに行けば、幸せになるための方法を書いた本は溢れています。

そんな中で、「自分に価値がないから、他人を喜ばせよう。喜ばれる存在になろう」
このような教えに触れた事のある方は多いと思います。
この思想の危険な点は「自分の思いを捨てて、他人の期待に応えることで他人を喜ばせる」という所にあります。

 

著者名は避けますが、以下引用です。

「思い」をもたないで、頼まれたことをやりながら、こき使われていたら、結果としては、ものすごく楽な人生が味わえます。
頼まれやすい人になって頼まれごとをひたすらやっていけば、喜ばれる存在になる。

とにかく頼まれごとを断らないでやっていくと、だんだん同じようなことを頼まれていることに気づきます。
そして2〜3年やっていくと、「私はこれをやるために生まれてきたのかな?」と気づく日が訪れます。
これを「立命」の日と言います。

それがわかったら、あとはそれをやって疲労困憊して死ねばよいだけ。

人間の生きる目的とは、何かを成し遂げることではなく、「いかに喜ばれる存在になるか」です。
本当に喜ばれる存在になったら、投げかけたものが返ってきます。
自分の周りにも、喜びがたくさん降ってくる。
人に喜ばれれば喜ばれるほど、自分の人生がどんどん楽しいものになっていきます。

以上、引用終わる。

 

先日の山下良道先生の法話「18/07/16 思い通りにならない人生でも、思いを放棄してはいけない」http://www.onedhamma.com/?p=6681で話題になった、スピリチュアル業界ではよくあるこの考え方の危険性について、私なりの経験を交えながら語ります。

 

私の精神世界の旅が本格的に始まったのは25歳から。
最初は産業カウンセラーの資格を取るために、心理学を学びに行ったのが始まりでした。

幼い頃から生きづらさを抱えていて、心理学が人生でとても重要だと父から教えられていたこともあり、転職し、カウンセラーの勉強を始めました。

 

カウンセラーになるのが目的といいつつ、本当は自分の問題を解決したかったのです。私の問題の核心がどこかは分かったのだけど、問題そのものは解決できませんでした。私はユング、アドラー、コーチング、様々な心理療法だけではなく、トランスパーソナル心理学、催眠療法、前世療法、占いなど様々なセラピーを学んだり、体験したり、色々なスピリチュアル系の本もたくさん読みました。怪しいこともほとんどやりました(笑)

 

そんな中、私は20代後半に、死ぬほど辛い出来事が起こり、自分を全否定されたと感じました。それも立て続けに、度重なるように色々な出来事が起こり、完全に人生に打ちのめされました。

 

その時に、私はボロボロになって、私の存在価値は「ゼロ」。
その時に、ある人からこの考え方の本を渡されたのです。

「人生は思い通りにならない。だから思いなど持たなければいい。」
「何があっても受け入れればいい。人生に問題などない」

 

しかもこの本の著者はこれがお釈迦様の教えだと言うのです。私は仏教が何かも分からなかったので、思いが苦しみを生むのだから、思いなど持たなければいい、という事が無我であり、我を捨てる事なのか?仏教とはそういう教えなのか、と20代の私は単純に思いました。

 

人生に打ちのめされた私は死んだも同然、
自分の思いを捨てて、他人を喜ばせる人になろう。
頼まれたことを断らず、ひたすらやっていくうちに
何か見つかるだろうと。

 

その当時の私は、自分の価値をめちゃくちゃに壊された時であり、自分の価値を再生するのは、本来なら自分自身で作り上げるものなのに、私は他者からの評価を得ることで、他者を幸せにする事で、自分を救おうとしたわけです。ひたすら目の前の仕事を必死にこなすことで、自分の心を観ないようにしたのです。

でもそれでは根本的解決には全くなるはずがありません。
はっきりと方向を間違えていました。

 

私は自分の思いを完全に捨てることは出来ないことに気づきました。また捨てるべきではないとわかったのです。

夢も希望もない人生を生きることなど、無意味だとわかったのです。

私は「このままでは終わらせない!絶対に立ち直る!」強い意志を持って進んだことで、人生を建て直すことが出来たのです。
手放せと言われた「思い」を強く持つことによって。

 

「思いが苦しみを生むのだから、思いを捨てればいい」
という考えは
「お前の分別を捨てろ」という
カルト系宗教となんら変わりはない、
ものすごく危険な考え方だと今となっては明確に分かります。

 

自分の価値を捨てて、相手に喜ばれる生き方、なのではなく、
自分の価値を高めていけば、自然と喜びもついてくるわけで
真逆の事を一生懸命やっていたわけです。


自分は我慢してでも、相手が喜んでくれればいい、と
自分の気持ちを抑えて、自分の問題は観ないようにして、
自分をないがしろにしていたわけです。

 

ただ、あの当時は、自分の問題と真正面から向き合うことが辛すぎて、自分で自分を救うために、思いを捨てて他人を喜ばせる道しか選べなかったのです。自分が潰されないために。だから、そこに引き寄せらせる、藁をもつかむ心境の人の気持ちも痛いほど分かります。

 

その時に、私が映画の世界に巻き込まれているだけで、全く別の世界があると知ったなら。本当の自分は別次元にいて、本当の自分は全くの無傷であり、自分の価値は全く壊されていないと知ったなら。深い安らぎの世界を実感できたのなら・・・。

 

でも、あの経験も私には必要だったのだと思います。その道では本当に救われない、という事を知るために。

私は本当にたくさん間違えてきた人間です。それもバカなくらい間違ったことを本気でやってきたのです。自分を救うために。
だからこそ、私にしか語れないことがあるのだと思っています。

 

散々間違えてきた結果、やっと正しいヨーガやマインドフルネスや仏教に出会い、学ぶことが出来ている幸運に感謝です。

 

最後に、自分の思いを捨てるのではない教えを紹介します。相田みつをさんのこの言葉をどうぞ。

やはりいかに喜ばれる存在になるかではなく、この自分が何かを成し遂げることが大事なのです。
勿論、エゴではないもうひとりの自分が。

 

山下先生の法話はこちら

http://www.onedhamma.com/?p=6681

 

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