R-YOGA ブログ

「幸福言葉だけでは幸福になれない」

今から10年以上前、20代後半にスピリチュアル迷子のような状態になった時代がありました。それぞれの指導者の言い分がお互いに違っていて、誰を、何を信じていいのか分からなくなってしまっていました。

何が正しいのかにこだわることで、かえって自分の問題を、真正面から見るという機会を失ってしまっていたことに、今更ながら気がついています。

 

先日、名古屋の栄のMySOUL8のスタジオにて、山下良道先生の「名古屋マインドフルネスの会」に参加いたしました。山下先生は、法話の中で「幸せな言葉、綺麗な言葉を使うことによって、ネガティブな自分の心を綺麗にしていく」という、よくあるスピリチュアルの方法の致命的な欠陥についてお話してくださいました。

 

(法話まとめ)

ネガティブな感情に負けてしまうから、それをなんとかしたい。
荒い言葉やネガティブな言葉を言うことで、大切な人間関係をこわしてしまう。
だから、言葉だけをポジティブな言葉に変えて行くという方法。ありがとう、ごめんなさい、許してください、愛しています、など。何かこれは一見いいような事なので、多くの人が正しいと思ってやっているが、問題がある。

 

では、何がそういうことの問題なのか?
心を変えるとはどういうことなのか?
お釈迦様の発見した真理のひとつがマインドフルネスであり、それは仏教そのものである。

仏教の教えの基本は、どう転んでもこの人生は苦しいというもの。若いときならば苦しいことがあったとしても、楽しいことをしてなんとか誤魔化し紛らわすことができる。しかし年をとればそういう誤魔化しがきかなくなってくる、

こんなに苦しいのは誰かのせいではない、私の中に自分で自分を苦しめてしまう構造がある。
私を苦しめる心配や不安。不安を起こしている原因を解決しようとがんばってそれは解決ついても、新たな心配の種がでてきて、きりがない。心配を創り出しているのは私の心であり、材料は何だっていいのである。

やってもやってもきりが無いことを一生やり続けないといけない。
いつしか人生はそういうものだとあきらめてしまう。


でも人生をあきらめるのをやめようというのが仏教。

人生は一見苦しみの連続のように見えるのだけれど、苦しみには明確な原因があり、その原因がわかれば解決される、という究極の楽観主義である。それに対して世間は苦しみは解決されることがないというニヒリズム。

川の流れに葉っぱが落ちて、その葉っぱが川上の方に流れていくように、仏教もマインドフルネスも川の流れに逆らっていく、世間の苦しみからどうせ逃れられないというニヒリズムに逆らう。

 

自分の心が止まらなくなって、勝手に心配してしまう、過去を思い出してしまう。これを止めなくては、これを止めれば苦しみから解放される、というところまで分かっているのが日本のマインドフルネスであり、苦しみから逃れられないというニヒリズムはすでに超えている。

ネガティブな思考はネガティブな言葉で出来ているから、言葉を変えていこう、となる。「死んでしまえ」と心で思っていても、いい言葉を無理矢理に口に出して言う。

ネガティブな思考はネガティブな言葉で出来ているから、言葉を変えることで、思考も変えていこう、となる。私の心が問題なのだからそれを何とかしようとするが、なぜうまくいかないのか?

私の心をあらゆる手段を使って何とかしようとしているからである。
そんなもので心は変わるものではない。

 

ポジティブな言葉を言い続けることによって自分の中のネガティブなものが見えなくなる。「ネガティブが見えない」のと「ネガティブがなくなった」のは根本的に違うのである。これは非常にまずいことである。

本当は問題はそのままあるのに、見えなくなると問題解決したと思い込んでしまい、なんとかしようとしなくなる。病気が治っていないのに治ったと思ってしまう。でも症状を抑え込んだだけであり、症状を感じないから病気が治ったと錯覚するのである。

私達はどうしようもない心を持っていてそれが苦しみの原因。この心を無理矢理マインドフルになれというのは無理であり、それはマインドフルと正反対。

 

どうしてそんな無茶なことをしなくてはいけなかったのか、それはもうひとりの自分が見えなかったから。
私達は心を持っているがそれ以上の存在であり、もうひとりの自分がいるのである。

アガペもマインドフルネスも慈悲も全部、もうひとりの自分の側にあるもの
であり、人間は二重構造だとわかればすべての謎が解ける。

もうひとりの私がリアルであり、心は全部幻なのである。リアルな本当の私を感じ取らなくてはいけない。もうひとりの自分を探し、もうひとりの自分を瞑想により実感していくのである。

 

(感想)

振り返れば私も、このように言葉を繰り返し唱えたり、いい言葉を無理にでも口に出すことで幸運を引き寄せようとがんばっていた時期がありました。
それはやはり自分の心の中にあるネガティブなものを見たくない、という逃げでもあり、問題から目をそらしていたに過ぎなかったのです。

 

それが分かったのは、その頃に封じ込めた問題が完了していなかった、その頃の感情がまだ生々しく残っていたという事に気づいた経験からです。それはヨーガや瞑想で自分に向き合う中で発見されました。

当時は痛みが強すぎて、その痛みを感じることが辛すぎて、何とかしようと必死でした。とりあえず痛みを何とかしようとがんばってきたが、その方法は「心を変える」という方向でした。

 

起きた事の解釈をいい解釈に変える。ネガティブな反応をしてしまったときに、瞬時にポジティブな解釈に変える、など認知を変えるトレーニングをとことんやって来ました。そんなこと繰り返しているうちに、本当は私は何を感じているのか分からなくなってしまい、ネガティブを感じる自分は駄目だ、となってしまいました。

 

今回のマインドフルネスの会で、やはり参加者の方でこう言う言葉を無理やり言っていた時は苦しかった、という発言がありました。でも今日の慈悲の瞑想では自分の幸せも他人の幸せも自然に願うことが出来た、と。

シンキングマインドを落として、慈悲の瞑想でもうひとりの自分の場所、慈悲の存在する場所へジャンプする事が出来る。そこはネガティブが存在しない場所。そんな体験から思うのは、やはりこの自分がどれだけ心を変えようと努力するよりも、もうひとりの自分を体験し、深めていくことが何より大切なのだと感じています。

 

私とはシンキングマインドではない。
暴走するシンキングマインドを何とかしようと、
エゴの私があらゆる方法で幸せになろうとして、その方法に全て失敗して来ました。

その頃の自分を振り返り、今思うのは、無理矢理に心を捻じ曲げるという事は、私自身を大事にしていなかったのだと思います。私が何を感じ、何をしたいのかを全部無視して来て、ネガティブなものを感じてしまう自分そのものを否定して来たのです。

やはり自分の中にある、ネガティブなものを
真正面から見つめることが怖くて逃げていたのだと思います。

 

ネガティブなものを感じてしまう私は幻であり、本当の私が存在している。
マインドフルネスでその幻から解放される。
小手先のテクニックで誤魔化すのではなく、本当のマインドフルネスによって、人生そのものを根本から変容させて、真の幸福を味わう事が出来る。私自身の人生を振り返り、そう確信しています。

言葉を変える、解釈を変える、という方法は本当に世に溢れていて
それでネガティブが消えるなら、怒りがなくなるならと、その方法を試して幸せになろうという気持ちは、本当によく分かります。私自身が紛れもなくそうだったので。

しかし残念ながらその方法では、一時的には楽になったとしても根本的には救われなかった。だから、もっとその先へ進んでいくしかないのです。本当に幸せになるために・・・

 

山下先生の法話はこちら

http://www.onedhamma.com/?p=6694

| 19:39 | comments(0) | - | pookmark |
自分の思いを捨てる必要など無い

本屋さんに行けば、幸せになるための方法を書いた本は溢れています。

そんな中で、「自分に価値がないから、他人を喜ばせよう。喜ばれる存在になろう」
このような教えに触れた事のある方は多いと思います。
この思想の危険な点は「自分の思いを捨てて、他人の期待に応えることで他人を喜ばせる」という所にあります。

 

著者名は避けますが、以下引用です。

「思い」をもたないで、頼まれたことをやりながら、こき使われていたら、結果としては、ものすごく楽な人生が味わえます。
頼まれやすい人になって頼まれごとをひたすらやっていけば、喜ばれる存在になる。

とにかく頼まれごとを断らないでやっていくと、だんだん同じようなことを頼まれていることに気づきます。
そして2〜3年やっていくと、「私はこれをやるために生まれてきたのかな?」と気づく日が訪れます。
これを「立命」の日と言います。

それがわかったら、あとはそれをやって疲労困憊して死ねばよいだけ。

人間の生きる目的とは、何かを成し遂げることではなく、「いかに喜ばれる存在になるか」です。
本当に喜ばれる存在になったら、投げかけたものが返ってきます。
自分の周りにも、喜びがたくさん降ってくる。
人に喜ばれれば喜ばれるほど、自分の人生がどんどん楽しいものになっていきます。

以上、引用終わる。

 

先日の山下良道先生の法話「18/07/16 思い通りにならない人生でも、思いを放棄してはいけない」http://www.onedhamma.com/?p=6681で話題になった、スピリチュアル業界ではよくあるこの考え方の危険性について、私なりの経験を交えながら語ります。

 

私の精神世界の旅が本格的に始まったのは25歳から。
最初は産業カウンセラーの資格を取るために、心理学を学びに行ったのが始まりでした。

幼い頃から生きづらさを抱えていて、心理学が人生でとても重要だと父から教えられていたこともあり、転職し、カウンセラーの勉強を始めました。

 

カウンセラーになるのが目的といいつつ、本当は自分の問題を解決したかったのです。私の問題の核心がどこかは分かったのだけど、問題そのものは解決できませんでした。私はユング、アドラー、コーチング、様々な心理療法だけではなく、トランスパーソナル心理学、催眠療法、前世療法、占いなど様々なセラピーを学んだり、体験したり、色々なスピリチュアル系の本もたくさん読みました。怪しいこともほとんどやりました(笑)

 

そんな中、私は20代後半に、死ぬほど辛い出来事が起こり、自分を全否定されたと感じました。それも立て続けに、度重なるように色々な出来事が起こり、完全に人生に打ちのめされました。

 

その時に、私はボロボロになって、私の存在価値は「ゼロ」。
その時に、ある人からこの考え方の本を渡されたのです。

「人生は思い通りにならない。だから思いなど持たなければいい。」
「何があっても受け入れればいい。人生に問題などない」

 

しかもこの本の著者はこれがお釈迦様の教えだと言うのです。私は仏教が何かも分からなかったので、思いが苦しみを生むのだから、思いなど持たなければいい、という事が無我であり、我を捨てる事なのか?仏教とはそういう教えなのか、と20代の私は単純に思いました。

 

人生に打ちのめされた私は死んだも同然、
自分の思いを捨てて、他人を喜ばせる人になろう。
頼まれたことを断らず、ひたすらやっていくうちに
何か見つかるだろうと。

 

その当時の私は、自分の価値をめちゃくちゃに壊された時であり、自分の価値を再生するのは、本来なら自分自身で作り上げるものなのに、私は他者からの評価を得ることで、他者を幸せにする事で、自分を救おうとしたわけです。ひたすら目の前の仕事を必死にこなすことで、自分の心を観ないようにしたのです。

でもそれでは根本的解決には全くなるはずがありません。
はっきりと方向を間違えていました。

 

私は自分の思いを完全に捨てることは出来ないことに気づきました。また捨てるべきではないとわかったのです。

夢も希望もない人生を生きることなど、無意味だとわかったのです。

私は「このままでは終わらせない!絶対に立ち直る!」強い意志を持って進んだことで、人生を建て直すことが出来たのです。
手放せと言われた「思い」を強く持つことによって。

 

「思いが苦しみを生むのだから、思いを捨てればいい」
という考えは
「お前の分別を捨てろ」という
カルト系宗教となんら変わりはない、
ものすごく危険な考え方だと今となっては明確に分かります。

 

自分の価値を捨てて、相手に喜ばれる生き方、なのではなく、
自分の価値を高めていけば、自然と喜びもついてくるわけで
真逆の事を一生懸命やっていたわけです。


自分は我慢してでも、相手が喜んでくれればいい、と
自分の気持ちを抑えて、自分の問題は観ないようにして、
自分をないがしろにしていたわけです。

 

ただ、あの当時は、自分の問題と真正面から向き合うことが辛すぎて、自分で自分を救うために、思いを捨てて他人を喜ばせる道しか選べなかったのです。自分が潰されないために。だから、そこに引き寄せらせる、藁をもつかむ心境の人の気持ちも痛いほど分かります。

 

その時に、私が映画の世界に巻き込まれているだけで、全く別の世界があると知ったなら。本当の自分は別次元にいて、本当の自分は全くの無傷であり、自分の価値は全く壊されていないと知ったなら。深い安らぎの世界を実感できたのなら・・・。

 

でも、あの経験も私には必要だったのだと思います。その道では本当に救われない、という事を知るために。

私は本当にたくさん間違えてきた人間です。それもバカなくらい間違ったことを本気でやってきたのです。自分を救うために。
だからこそ、私にしか語れないことがあるのだと思っています。

 

散々間違えてきた結果、やっと正しいヨーガやマインドフルネスや仏教に出会い、学ぶことが出来ている幸運に感謝です。

 

最後に、自分の思いを捨てるのではない教えを紹介します。相田みつをさんのこの言葉をどうぞ。

やはりいかに喜ばれる存在になるかではなく、この自分が何かを成し遂げることが大事なのです。
勿論、エゴではないもうひとりの自分が。

 

山下先生の法話はこちら

http://www.onedhamma.com/?p=6681

 

| 19:59 | comments(0) | - | pookmark |
東京へ




「わたしの二重構造」を巡る仏教とキリスト教の対話。カトリック・イエズス会司祭の柳田敏洋さんと
鎌倉一法庵の山下良道さんとの対談を聞きに新宿へ。

キリスト教と仏教の枠を超えて「私とは何か」を
深く掘り下げていくお二人の対談にワクワクが止まりませんでした!

「イエス・キリストは100パーセント神であり
100パーセント人間である」という言葉から、
私たちの二重構造と同様に、イエス様も二重構造であったという事を、対談の中で柳田神父様自身が気づいていかれたのが、とても印象的でした。

わたしとは何か?神とは何か?宗派を超えて
そんな謎の何かを探求が出来る事が嬉しいです。

柳田神父さんの言葉で印象に残ったのが
「人の死を私が死ぬ、のではなく、私の死を死にきる」という言葉が響きました。

私が、私の人生を生きていく。
他の誰でもない私の人生を。

長いこと自分を見失い、
自分の人生など生きていなかった私。
私の人生は始まったばかりです(^^)

また、柳田神父は
「一瞬一瞬をアガペ(愛)で生きること。」
「生身の身体を愛の通路として生かしていく」
という事お話いただき、感動いたしました。

素晴らしい対談を聞かせていただき
最高の七夕の夜になりました✨✨

| 22:49 | comments(0) | - | pookmark |
「親の意見と茄子の花は千に一つも無駄はない

 

養照寺ヨーガ。11名の生徒さんとヨーガ。
汗かきながら、最高に気持ちいいヨーガでした!

 

お茶会で年長の生徒さんに教えて頂いた言葉。


「親の意見と茄子の花は、千に一つも無駄はない」

茄子は花が咲くと必ず実をつけることから、
親の忠告には何一つむだがないというたとえ。

 

私はすぐに人を信じてしまうから
母によく忠告されていました。
「そんなにすぐに人を信じたらダメ。
悪い人もいるんだから」と。

あの時は、母はすぐに人を疑って、冷たい人だなぁ、
なんて思っていたけど、
私が人を疑わず、簡単に騙されるから
心配してくれていたんだ、
と今ならハッキリ分かります。

母の愛の忠告を聞かず、
ずいぶん痛い思いをしてきました(≧∇≦)
分かるの遅すぎ(笑)

 

毎回お茶会、深いです。
本当に勉強になります(^^)

 

何が起こるか分からない毎日。
今日、ヨーガができた幸せを
皆さんとかみしめました

お越しいただいた皆さま
ありがとうございました💕

 

 

※※※※※
7月の養照寺ヨーガは3回。
7月3日・17日・31日(火)
13時半からです
体験受付中で〜す(^^)

| 19:38 | comments(0) | - | pookmark |
父の日に思うこと

 

長女が作ったパパへのプレゼント。
タリーズコーヒーのイベントでマグボトルを。

「パパへ 仕事をしてくれてありがとう」

 

私も幼い頃、父の日のプレゼントをあげた記憶は
あるが、定かではない。

ただ、確かに覚えているのは
そのプレゼントを使ってもらっては
いなかった、ということ。

 

多分、私のプレゼントの趣味が悪かった(笑)か、
大切にとっておいてくれたのだろう。

 

人間というものは、思い込みの塊だけれど
その思い込みを強化するような体験を
わざわざ選びとって、思い込みを強化していく。

 

「私は愛される価値がない」という思い込みによって、

愛されている体験を正しく見ることが出来ない。

 

父の役に立ちたくて
小学校低学年から、父の経営する店の手伝いをした。
毎週日曜日は朝から晩まで皿洗い。

 

その頃に、様々なお客さんに対応するために
身につけた技は
「ニコニコ愛想よくして誤魔化す」という技。

もちろん、その人格に助けられても来たけれど、
それは、人とのリアルな感情交流を避けるための鎧でもあった。私の本当の気持ちを隠すため。

 

孤独感。
悲しみ。
そして虚しさ。

本当の自分を誤魔化して、本当の人間関係など
作れる訳がない。


自分を誤魔化して、他者を優先しているうちに
自分がどう感じているのかが分からなくなってしまった。

嫌な事を嫌と言えず、出来ません、とも言えず
自分で全部抱えこんでいた。

 

私が本当の自分を誤魔化しているのだから
当然、本心を誤魔化した人が引き寄せられて来て
お互いに苦しむ事になる。

 

本当はめちゃくちゃ敏感なセンサーで
相手の本心を見抜けているのに
自分の感覚を信じず、
相手の表面的な言葉を信じて、
随分と痛い目に遭ってきた。

 

今、振り返って、はっきりと言えるのは
自分に嘘をついて、やれ人の為だの、人を助けたいと行動したところで、

自分も相手も幸せにはなれない、という事。

 

幼い私は、相手を傷つけるのを怖れて、
本当の気持ちを隠す事を選んだ。

自分が傷つくのを怖れて、
相手の本当の気持ちを聴かない事を選んだ。

 

亡き父に聞こう。
「私の事、大事に思ってる?」
たぶん母も父に聞きたかったこと。
もちろん、「誰よりも大切に思っているよ」
と言ってくれるだろう。

 

自分の感覚を信じて
リアルな感情交流を怖れず
本物の人間関係を築いていこう💕

| 19:32 | comments(0) | - | pookmark |
失敗して人生を知る

先日の記事にも書いたように
私の人生は、私の勝手な思い込みによって
相当歪んだ人生になっていました。

 

両親に愛されていないと信じるあまり
あまりにも選択ミスをおかしてきた人生。
それが実は元々愛されていたんだという衝撃の真実。

 

最初に思い違いをして、
掛け違えたボタンのために
人生がすべて掛け違え。

 

そんな失敗だらけの人生だったからこそ
その失敗から学ぶことが出来た訳なんですが。

 

でも私は
失敗した事が恥ずかしくて
みっともなくて
選択ミスをしまくる自分に
自信を持てなくなりました。

自分の表現を全否定された経験から
自分のリアルな声を発信する事が怖くなり
なんかカッコつけてみたり
ふざけてみたり...
当たり障りのない文章で誤魔化してみたり。

 

色々言っても結局は
「私が私を信頼していなかった」
という一言に尽きます。


私を止めていたのは、まぎれもない私自身。
この事実を認めない限り、
私は一歩も前に進めないのです。

 

これからは
自信を持って、リアルな声、経験を
シェアしていきます!
ディープな梨江全開で。

 

失敗から学んだこと
間違いだらけの人生は
誰かの役に立つかもしれないから。

 

私がR-YOGAでやっている事は
ヨーガやマインドフルネスによって「苦しみの世界から抜け出して幸せになること」なのだから、私自身がどのような頭の中の思い込みによって、歪んだ解釈によっていかに苦しめられてきたのか、という話をしなくてどうするの?と思いました。

物事を正しく見ずに、勝手な解釈に巻きこまれて生きることが、いかに馬鹿馬鹿しいことなのか
どんな風に人生がとっちらかっていくのか。
私の体験から感じ取っていただけたら
こんなに嬉しいことはありません。

 

☆☆☆☆☆
昨日は養照寺ヨーガ。
そんな古傷いっぱいの私を
阿弥陀様は優しく見つめて下さいました。
大丈夫、という優しいまなざしで・・・。

お忙しい中、参加いただいた皆様、
ありがとうございました。

次回は6月19日。
7月は3回あります。
7月3日、17日、31日です。

☆☆☆☆☆

赤池のいいっしょでのマインドフルネス講座は
7月6日(金)10時〜
ディープな話全開でいきます!お楽しみに。

| 23:39 | comments(0) | - | pookmark |
父の背中

今朝、亡き父の夢を見た。
とても元気な頃の父の姿でスーツを着た父。
ちょうど私が小学生の頃の父の姿だった。
穏やかな微笑みを浮かべた優しい顔をしていた。

「ただいま」と家に帰ってきた。
私は夢の中で、これは夢だ!とすぐに気づき
ずっと会いたかった!!父に抱きつこう!抱きつかなくては!と思い

「お帰りなさい!!」
と言うと、父に思いっきり抱きついた。
夢の中でも、本当に嬉しかった。
起きてからも父の暖かな感触がまだ残っている。

子供の頃から、ずっとしたかったこと。
でも、出来なかったこと。

私が26歳の時、父は亡くなった。
会社を経営していた父は仕事で忙しく、
ほとんど一緒に過ごしたことがなかった。

今では、家族のために、従業員のために
一生懸命がんばってくれていたのだと分かるのだけれど
幼い頃は、そんな風に思えなかった。
愛されていないと勝手に思い込んでいた。

大好きだったのだから、自分から抱きつけば良かったんだ。
父だって、きっと抱きついたら嬉しかったに違いない。
いや、抱きついて欲しかっただろう。

先日の瞑想で、マインドフルになった時
5歳だった頃の父を抱きしめた。
私の中の父が癒やされていくのを感じた。

3歳で実母に先立たれ、継母にいじめられ
長男でありながら、長男と扱われず
学費を自分で稼ぎ、ひとり種子島から東京へ出て
商売を始めた父。

それでも亡くなる直前に私にくれた手紙には
「私は本当に幸運な人生だった」と書かれていた。
そして、娘である私の事を誇りに思っている、
という事も書かれていた。

親と子のすれ違い。
その時に分かった、私はめちゃくちゃ愛されていたのだと。
私は、私の歪んだ眼鏡で世界を見ていただけ、私の勝手な映画だった。全然真実を見ていなかった。

怖れることなく、大好きな人に大好きと表現していこう。
これからも子供達をたくさん抱きしめていこう。

いまでもずっとそばにいて、誰よりも応援してくれている。
あなたの子供だということを、
私は本当に誇りに思っている。
いつも私に一歩前に進む勇気をくれる存在。

どんなときも、不屈の精神で
乗り越えてきた父の背中を
私はずっと忘れない。

| 22:17 | comments(0) | - | pookmark |
名古屋マインドフルリトリートin崇覚寺

名古屋マインドフルリトリートin崇覚寺

今日は鎌倉一法庵の山下良道先生による
名古屋マインドフルネスリトリートでした。


水谷住職からお寺の歴史や名古屋の歴史など、
興味深いお話をたくさん聞かせていただきました。

 

 

山下先生からのお話のあと
ヨーガとプラーナーヤーマを担当させて
いただきました。その後、山下先生による瞑想。


シンキングマインドが静まり、
深い瞑想が出来ました。

最高の環境でマインドフルな時間を過ごすことが
出来ました。


お忙しい中、ヨーガに参加いただいた皆様
ありがとうございましたm(_ _)m

| 23:24 | comments(0) | - | pookmark |
苦しみから逃げない


私たちの中には、もともと苦しみから逃れ、快楽を追い求める傾向がそなわっています。

自分の心に、「苦しみはとても役に立つこともあるんだよ」と教えてあげましょう。
苦しめばこそ理解する力が増し、理解すればこそ、受け入れ、愛する力が増します。
 
苦しみを受け入れ、苦しむ覚悟ができたなら、もう苦しみに煩わされることはなくなります。
 
苦しみが自分の中にあることをゆるしましょう。
受け入れ学ぶために少しばかり辛い覚悟をするのです。
苦しみを受け入れて抱擁しなければ、それが何なのか分からずじまいになります。
 
実は苦しみが私たちを教え、導き、喜びと幸福をもたらしてくれるものだということも知るに至りません。
 
苦しみがなければ、苦しみを理解することがなければ、
真の幸福は決してありえないのです。
 
ティク・ナット・ハン著「和解」より
IMG_20170805_160253410.jpg
 
苦しい時代があったからこそ、今、平穏な日常を送れる幸せを心から喜べます。
未熟だった私を成長させてくれた「苦しみ」に
今では感謝しかありません
 
今日も読んでくださって
ありがとうございますm(_ _)m
 
RIE
| 21:21 | comments(0) | - | pookmark |
平和の祈り



『平和の祈り』


主よ、
わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。

 

憎しみのあるところに愛を、
いさかいのあるところに許しを、
分裂のあるところに一致を、

疑惑のあるところに信仰を、
誤っているところに真理を、

絶望のあるところに希望を、
闇に光を、悲しみのあるところに喜びを
もたらすものとしてください。

 

慰められるよりは慰めることを、
理解されるよりは理解することを、
愛されるよりは愛することを、

わたしが求めますように。


わたしたちは与えるから受け、許すから許され、
自分を捨てて死に、永遠のいのちをいただくのですから。

 

アッシジの聖フランシスコ

{27EA0D8A-5FED-4B72-9954-E5440A409D48}

写真は亡き親友、近藤やすえの作品。2007年12月。

作品名は「希望の木」



| 20:41 | comments(0) | - | pookmark |
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